こんにちは!『社会人のための勉強クラブ』部長のしーじーです。
今回は、災害などの時に人々の判断力を鈍らせる正常性バイアスについてお話したいと思います。
正常性バイアスについての説明は以下を参照して下さい。
正常性バイアス(せいじょうせいバイアス、英: Normalcy bias)とは、認知バイアスの一種。社会心理学、災害心理学などで使用されている心理学用語で[1]、自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりしてしまう人の特性のこと。
さて、ここ最近日本でも自然災害が多発しています。
そこで時々話題になる「正常性バイアス」という言葉ですが…。
人間の物事への判断とは、合理的なようで、その実非常に適当なものです。
例えば、台風が来て「避難勧告」が発令されても、実際に台風で大きな被害に合ったことのない人々は「どうせ大したことないだろう」と判断して避難しないことが多いのです。
しかし、その判断材料となる“根拠”は特にないのです。
考えてもみればそれは当然で、僕らのほとんどは台風の専門家ではありません。
だから、本来であればメディアなどの情報を元に適切な行動を取らねばならないのに、それが出来ないのです。
地震などの自然災害でも同様のことが言えます。
日本は言わずと知れた地震大国です。
そこら中に活断層が走っています。
地震の少ない海外の方に言わせると「こんな地震ばかり起こる国で良く住めるな。」と思われているようです。
地震というものに関していえば、日本に平気で住んでいること自体が正常性バイアスの賜物なのかも知れません。
逆に、アメリカなどで銃の乱射事件が起こったなどというニュースを聞くと、日本に住む僕としては「そんな環境に身を置いてよく平静とした気持ちで暮らせるのだなぁ。」と思ってしまいます。
それも長年そういった環境に身を置く人々の「自分はそんなことに巻き込まれないだろう」という正常性バイアスなのでしょう。
さて、この一見厄介な正常性バイアスですが、何故このような機能が我々に備わってしまっているんだろう?ということを考えたことがあります。
僕なりに出した結論は「人間は正常性バイアスがなければ日常生活を送れなくなるんだろう。」というものです。
例えば、車を運転することについて考えてみて下さい。
いくら安全運転をしたところで車の運転は危険がいっぱいです。
例え自分が悪くなくても、周りの車の運転ミスに巻き込まれることもあります。
また、あなたが助手席に乗せてもらうことを想像すれば、あなたは運転者にあなたの命を預けていることになります。
でも、実際はそこまで“決死の覚悟”をもって乗せて貰っているわけではないと思います。
人間の判断力を超えた速度で走行する文明の利器を駆るには「まぁ、自分は事故を起こさないし、事故に巻き込まれることはないだろう」という正常性バイアスが不可欠に思われます。
「石橋を叩いて渡る」…分からないものに対して慎重になるという意味ですが、実際にそうやって生きていくのは非常にしんどいですし、非効率な場面も多いでしょう。
ですから、未知の物を恐れ過ぎない為にそういった機能が備わっているのだと考えます。
ですが、人生において「正常性バイアス」を野放しにしていい場面と、そうでない場面があります。
みなさんも「正常性バイアス」と上手いお付き合いを。
では、また次回。